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scriptus ante-scriptus

2014-01-06

歴史的仮名遣批判の基礎知識

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もしわたしの後輩(学部3年でも修士1年でも)が「歴史的仮名遣卒論/修論を書きたいんです」と言ってきたら,わたしはつぎの本と論文のリストを渡して「分らないところがあったら聞いてね」と言って済ますだらう。かれ/かのぢょが歴史的仮名遣批判的であらうとなからうと*1

  • 福嶋直恭2008,書記言語としての「日本語」の誕生: その存在を問い直す,笠間書院
  • 長谷川千秋2016,『和字正濫鈔』は仮名遣書か,国語文字史の研究15,xx–xx

Enlarged in 15 July 2016

基礎知識を得たいからには上記の本くらゐ当然読みこなしていただきたいので,以下に書くはなしは基礎知識の前知識としか言へないものである。

歴史的仮名遣根拠

歴史的仮名遣は,かつてそれをもって表記されたことのない体系である。山内1979は,歴史的仮名遣のもとめる表記のしわけと完全に合致する時代の絶えてなかったことを示し,「古典かなづかい(引用者注歴史的仮名遣のこと)とは,契沖以下の諸学者が「いろは」四十七個の「かな」をもって,八・九世紀の万葉がな文献の用字法を整理してえたところの虚構である」と結論する。

山内1979では,歴史的仮名遣の表記のしわけの体系をつぎのごとくまとめる。

  1. /e/と/ye/は統合してゐる
  2. 語中尾の/p/は/w/になってゐない
  3. /o/と/wo/を区別する
  4. /i/と/wi/を区別する
  5. /ye/と/we/を区別する

しかるに,これは「いろは歌」になら存在する体系である。いろは歌は,「いろは歌成立当時の音韻を網羅したもの」ともいはれるが,濁音も含まないそれは,「当時通用のかなを網羅したもの」といふべきである(馬渕1971*2)。

歴史的仮名遣の歴史的背景

歴史的仮名遣成立の背景に,万葉集の研究を進めるなかでその仮名用法に条理を発見したことだけではなく,契沖のいろは歌と五十音図への傾倒のあったこと,諸家の指摘するごとくである(山内1979,迫野2005,釘貫2007)*3。その条理を契沖の書いたごとく表記の差と意味の差を直結させて考へるか(永山1943,迫野2005など),過去の音を聞いてゐたのか(釘貫2007)は,当面問題ない。契沖にとっては聖なる言葉である梵語に基づいた五十音図に日本語の「音」がすべて収ることがとても神聖なことであって,いろははその「音」をもとに空海が作ったものだから神聖であって,それ以上の複雑なものが上代語にあったとは思ひもよらなかったのではないか。

なにはともあれ,歴史的仮名遣はいろは歌といふ仮名尽しのひとつひとつの使ひわけといふ枠が最初にあったことは見ておくべきである。そしてそれは宣長以降も維持されたままであった。その間,たとへば上代の仮名の研究をした石塚龍麿,ヤ行の江とア行のエとが異なることを示した奥村栄実など,いろはの枠を打ち破ってそれまでより「本来的」な仮名遣にする機会はあったにもかかはらずである(築島1986)。

いろはの枠組みが続いた理由は,石塚や奥村の研究がひろく知られなかったことも大きいが,これは,五十音図を奉じる機運が和学者のあひだで高まり,ヤ行のイやワ行のウを(そしてヤ行のエも),存在を確認できたからではなく,五十音図に穴があるはずもないからといふだけで,創作してしまったことによる。これを音義派と呼ぶが,明治初年,音義派を葬ると同時に明治政府の採用する仮名遣としては,いろはの枠組みで行くことが宣言されてしまった(古田1978)*4

それ以後,大矢透があらためてヤ行の江とア行のエの差を立証するが,すでに表音化するかそのままでゆくかで大議論となってゐた国語教育界で歴史的仮名遣の拡張など考へられもせず*5,だから橋本進吉石塚龍麿を知ってからもいはゆる上代特殊仮名遣歴史的仮名遣に適用する機運などありもしなかった。

このやうな歴史的背景のもとに歴史的仮名遣は成り立ってゐるのである。

余談

歴史的仮名遣は例外がすくないといふのも広く行き渡ってゐる信念であるが,そりゃあ「語」本来の表記に従ふといふルールを立てた時点でルールのなかに例外を立てるところはないのである。それをもって覚えることがすくないといふのは,だから,あやまりだ。山田・小島・山田1943の山田孝雄の序,山田忠雄の補記を見れば,覚えることのひとかたならぬことなど明白である。

「覚えること」とはなにかといふに,ひとことでいへば現代のことばと乖離したところだと思ふ。それは音韻であったり,形態論morphologyであったりの変化によって引き起こされ,「直感的に」理解しがたいものを生む。だから現代仮名遣いの「お」の長音表記の例外はおとなになっても間違へるのだし,歴史的仮名遣と現代仮名遣いが一致してゐるところでも,育った方言によっては,たとへばじ・ぢ・ず・づのいはゆる四つ仮名を区別しない方言で育ったひとには,口語体の文章を書くのにそのよっつを誤りやすいといふことが知られてゐる(とはいへ,そこまで統合の進んでゐない,たとへばじとぢ,ずとづを区別しない——日本語のかなりの——方言でも,どちらを書いてよいか分らなくなることがあるのは,ふるくに『蜆縮涼鼓集』のあったことから明らかである)。

明治国語学者のゆめは,ひとつの方言にかたよらない標準語を作ることだった。それが現実のものにならなかったことは言ふまでもないけれど,だからといって,表記を権威方言たる東京方言に表音的なものにせしむるほど,その他の方言には脅威ともなる。たとへば合拗音表記の廃止がその残る方言における弱化を早めたらしいことはつとに知られるし,その意味で,表記がひとつの方言にかたよるのは好ましくないのである。屋名池2008の見解も,似たやうな文脈から理解されるべきである。まあ,革新の進む方言の邪魔をするのも保守的表記なのではあるが。

*1:題名は,なので,ちょっとキャッチーにしたかっただけですごめんなさい石を投げないで。

*2:山内1979はヤ行のエのないことを不審とするが,いろは仮名にはア行のエがないのであるから,問題ではない。矢田勉1995/2012,平仮名書きいろは歌の成立と展開(原題「いろは歌書写の平仮名字体」,国語文字・表記史の研究,汲古書院)参照。

*3:なほ,馬渕1959は「儒学復古主義によって端的にあらわされている時代精神が,契沖をして,古文献に基礎をおくかなづかいを発見せしめた」と述べる。

*4:ここに亀井孝のいふ「明治欽定仮名遣」の姿を見ることは難しいことではない。亀井孝1973,契沖かなづかい雑記,契沖全集月報5。なほ,欽定の意味が分らないひとがゐるみたいだが,いふまでもなく政府の権威がなければひろまらなかったといふ揶揄である。

*5:いまの目からは奇妙かもしれないが,当時にあっては国語国字問題はそのまま国語教育の問題だった。

2013-01-04

妄想リーディングズ

| 13:19 | はてなブックマーク - 妄想リーディングズ - scriptus ante-scriptus

さいきんの日本ではめっきりないけれど(日本語学言語学でいへば,『日本の言語学』大修館,『論集日本語研究』有精堂くらゐなのかな?),英米ではリーディングズといって,重要な(といふと語弊があるか,うーん,まあ,その学問における理論的な背景をかたちづくる)論文をまとめたものが現在でも出てゐるさうなのです。なんとなく平仮名史でリーディングズを編めるならなにを入れたいか,独断と偏見で選んでみました。なほ,仮名遣は入れてません。年代順。

  • 春日政治(1941)「仮名の沿革」。のち著作集1
  • 亀井孝(1970)「かなは なぜ 濁音専用の 字体を もたなかったか—を めぐって かたる」。のち著作集5
  • 安田章(1971)「仮名文字遣序」。のち『仮名文字遣と国語史研究』
  • 迫野虔徳(1974)「定家の「仮名もじ遣」」『語文研究』37
  • 浜田啓介(1976)「板行の仮名字体」。のち『近世文学・伝達と様式に関する私見』
  • 伊坂淳一(1988–1992)「藤原俊成の用字法・試論」『学苑』577, 578,『千葉大学教育学部研究紀要』38 (1)-40 (1)
  • 矢田勉(1995)「いろは歌書写の平仮名字体」。のち『国語文字・表記史の研究』

亀井論文が長すぎて全尺入れたらほかの論文が入らなくなるなw 読み癖関係でなにか入れたいが,いいのが思ひつかない(みんなが引用するやうな論文……?)。

2011-10-23

山口(2010)『ん』からはじめる思ひめぐらし: (a) 参考文献

| 22:17 | はてなブックマーク - 山口(2010)『ん』からはじめる思ひめぐらし: (a) 参考文献 - scriptus ante-scriptus

さきを 書きさうに ないので。

参考文献

  • Frellesvig, B. (2010). A history of the Japanese language. Cambridge: Cambridge University Press.
  • 浜田敦 (1986). 「促音と撥音」『国語史の諸問題』 (pp. 38-89)、和泉書院。(原論文1960年
  • Haspelmath, M., Dryer, M. S., Gil, D., & Comrie, B. (eds.) (2005). The world atlas of language structures. Oxford: Oxford University Press.
  • 肥爪周二 (2000). 「日本韻学用語攷(一): 清濁」『茨城大学人文学部紀要人文学科論集』33: 17-38
  • 肥爪周二 (2002). 「ハ行をめぐる四種の「有声化」」『茨城大学人文学部紀要人文学科論集』37: 97-118
  • 肥爪周二 (2003). 「清濁分化と促音・撥音」『国語学』54 (2): 108-95
  • 肥爪周二 (2008). 「撥音史素描」『訓点語と訓点資料』120: 12-27
  • Keegan, J. M. (1997). A reference grammar of Mbay. München: LINCOM Europa.
  • 北村甫・長野泰彦 (編) (1990). 『現代チベット語分類辞典』汲古書院
  • 窪薗晴夫 (1995). 『語形成と音韻構造』くろしお書房
  • 黒田成幸 (2005). 「促音及び撥音について」『日本語からみた生成文法』(pp. )。(原論文は1967年)
  • Ladefoged, P., & Maddieson, I. (1996). The sounds of the world's languages. Oxford: Blackwell.
  • Ming, C. G. (2005). The phonology of Guangzhou Cantonese. München: LINCOM Europa.
  • 中川裕 (2006). 「アイヌ人によるアイヌ語表記への取り組み」塩原朝子・児玉茂昭(編)『表記の習慣のない言語の表記』東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所
  • 斎藤純男 (2003). 「現代日本語の音声: 分節音と音声記号」上野善道(編)『朝倉日本語講座3 音声・音韻』(pp. 1-21)、朝倉書店
  • 迫野虔徳 (1987). 「中世的撥音」『国語国文』56 (7): 41-52
  • Shibatani, M. (1990). The languages of Japan. Cambridge: Cambridge University Press.
  • 高山倫明 (1992). 「清濁小考」田島毓堂(編)『日本語論究2 古典日本語と辞書』(pp. 17-56)、和泉書院
  • 高山倫明 (2006). 「四つ仮名と前鼻音」『筑紫言語学論叢II: 日本語史と方言』(pp. 158-174)、風間書房
  • Thayer L, & Thayer J. (1971). 50 lessons in Sara-Ngambay. vol. 3. Bloomington: Indiana University.
  • Thompson, V. M., & Adloff, R. (1981). Conflict in Chad. Berkley: Institute of International Studies, University of California.
  • 上村幸雄 (1989). 「現代日本語 音韻」亀井孝ほか(編)『言語学大事典』巻2 (pp. 1692-1716)、三省堂
  • Welmers, W. E. (1973). African language structures. Berkley: University of California Press.
  • 山口佳紀 (1982). 「促音や撥音ははたして中国語の影響か」『国文学 解釈と教材の研究』27 (16): 79-83

2011-05-05

上田万年「促音考」

23:33 | はてなブックマーク - 上田万年「促音考」 - scriptus ante-scriptus

上田萬年 促音考 - 国語史資料の連関 - 国語史グループを訳しました(近代デジタルライブラリー書影をもとに直した箇所もありますが,ほとんど訳には出てきません)。この考察に元ネタがあるのかどうか——すなはち,上田の研究にかかるのかどうか,あまり調べてません。管見のかぎり,「P音考」のごとく,大槻やチェンバレンに習ったところはそんなになささうです(大槻は『広日本文典』『同別記』,チェンバレン口語文典しか調べてませんが)。ほかのひとによってゐたり,調べもれがないとは言はないのですが。

このやうな説は,ローマ字表記にはほとんど影響を及ぼさなかったといへますが,促音の解釈について,現代においても根強い解釈のひとつ——モーラ音素——の源流のひとつなのかもしれないな,と思ひます。

その論においては,入声と促音が区別できてゐないやうなところ(之を語源的にいへば、前のシラブルの子音は、後のシラブルのかしらの子音と、同音ならでも可なるものなれば、必しも同音に書くいはれなければなり)もあり,サ行音の促音を二次的なものとするのも疑ひなしとしません。この「二次的」な促音は'を使ふべきとしてゐないのに,文章の後段ではそれを忘れてしまってゐるのもへんなはなしです。実例を検討したところも,たぶん用語の使ひかたがぜんぜん違ふからなんでせうけど,意味がよく分りません。有坂でも読めば分るのだらうか(まへとかあととか,指示がはっきりしないのでやめてほしいのだけれど)。

けっきょく,各論に見るべきところはとくにありませんが,個人的な興味で訳してみるものです。

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2010-05-09

山口(2010)『ん』からはじめる思ひめぐらし: (1) はじめに

| 06:47 | はてなブックマーク - 山口(2010)『ん』からはじめる思ひめぐらし: (1) はじめに - scriptus ante-scriptus

この2月——だから そんなに 対論として 意味の ある 記事には ならないのだが、しかし あへて——に:

  • 山口謡司(2010)『ん: 日本語最後の謎に挑む』新潮社

が 出版された。著者の 前著、

  • 山口謡司(2007)『日本語の奇跡: 〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明』新潮社

の 悪評の たかさに 問題の 前著は 読んでゐなかったのだが 本著も また べつの いみで 期待できた。

なにぶん 著者の 書いたものは はじめてで あったが 一読 品の わるさに こっちが はづかしくなる 思ひを した。あとがきに 云ひて 曰く:

日本語には、なぜ「ん(ン)」で始まる言葉はないのか、と質問されたことがある。

しかし、じつは、世界の言語に目を広げても「ん」という発音で始まる言葉はさほど多くはないのである。思いつくままに挙げれば、たとえば、アフリカチャド共和国の首都名「N'Djamena」は日本語では「ン・ジャメナ」と表記される。また、チベット語には「’ngaa(ンガア)」が「早い」、「nga(ンガ)」が「私」を意味するような言葉があり、中国語の方言のひとつである広東語でも「ngo(ンゴ)」(「私」)などの言葉がある。さらに、広東語では「呉」という漢字は「Ng(ン)」と発音される。だが、これらの言語にも、「ン」で始まる言葉は少なく、ヨーロッパの諸言語にいたっては「ン(n)」で始まる言葉はまったくない。世界中の言語でも絶対数から言えば、日本語同様、「ン」で始まる言葉の数は非常に少ないのである。

では、なぜ少ないかと言うと、「ン」は、喉*1の奥で止めて出される音で、人が出す音としては不自然だからである。チベット語にしても広東語にしても「n」を確定するための「g」という音が次について現れるのはそのためである。つまり、単独で「ン」だけが存在するような言葉は、やはり、基本的にはないと言えよう。

山口 (2010, pp. 187-88)

「ん」は 著者の おほぶろしきに 反して 日本語にしか ない*2。これは すこし かんがへれば 分りさうな もので、音と いふのは ひとつひとつの 言語において おのおのの 成り立ちが あるの だから——言語学に ふなれな かたは 五十音図が 日本語の すべての 音を 構造化して みせるのを 思ふと よい。すべての 言語は おのおの なかみの ちがふ 「五十音図」を 持ってゐるのである——日本語の 「ん」を あてはめられる 言語は なくて しかるべきこと なのだ。英語には 「あ」から はじまる ことばは ないし、もちろん 日本語に 英語の appleの aから はじまる ことばも ない。

では 著者が あると いふ 「ん」とは なにものか 問ふに、かなに つづったとき 「ん」が あることに よってゐるのは 明白である。これを あへて ラテン・アルファベットで 考へてみれば、日本語を ラテン・アルファベットで ふつうに つづったとき 紅いは akaiと 書くが、これを 見て 英語の appleの aを 見て おなじ aがあると 言ってゐる やうな もので あらう。ほかにも、英語の strikeには stと 母音のない 音連続が あるが かなの ままでは スと トと それぞれ ウと オを 補はなければ ならないことに あきらかなやうに、かなでは 音のありさまを 推し量れない 言語が ある。かなで 考へてゐては 議論に ならないのだ。

そのほかにも 著者の 論には 問題が おほい。そこで この 引用を 素材として いくつか 検討してみよう。

引用した あとがきで 著者は 「ん」で はじまる ことばを 持つ 言語を あげ そのやうな 言語は まれで(とは 明確に 書いて ゐないが さう 考へないと 筋が とほらない)ヨーロッパの言語には 皆無で、かつ そのやうな 言語にあっても 「ん」ではじまることばは まれな 現象だと したうへで それを 「ん」の 発音の ひとの 音としての 不自然な 性質に 求めてゐる。

著者の 議論の 当否は 措いて まづは 「ん」が あると される 言語の 諸相を 見てみよう。

まづは 「ンジャメナ」である。「ん」で はじまると 有名な この 都市だが かならずしも ンと つづられるとは かぎらない。むしろ 辞書では ヌジャメナなどと する ほうが 多いやうで ある。そもそも この 都市は フランスが 占領して できた 砦に 発する 都市で ふるくは Fort-Lamyと 言ったが 初代 大統領 Tombalbayeの チャド化政策——とは いっても チャドマイノリティたる サラ民族 出身の 大統領が 行った 政策で 公平な 「チャド化」など ありえず 「サラ化」で あったのだが——によって 1970年 Ndjamenaと されたので あった (Tompson, & Adolf, 1981, pp. 43-44)。Ndjamenaの 意味する ところや Tombalbayeの言語など じふぶんに 調べられなかったのだが、この つづりは 宗主国で あった フランスの つづりかたに 影響された もので かならずしも サラ語に 即した ものでは ないので あらう、現代の サラ語に ndjといふ 表記連続は ない。サラ語の 一方言で ある Mbay方言において 前鼻音を 伴ふ 閉鎖音が よっつ ある なかに /nj/ [ⁿdʒ]が あって ンジャメナの ンジャとは この 音だと 考へておく (Keegan, 1997, pp. 1-2)*3。そのほかの 前鼻音閉鎖は /mb/ [ᵐb], /nd/ [ⁿd], /ng/ [ŋ(g)]で*4、これらは 鼻音 /n/ [n], /m/ [m]と 区別され (Keegan, 1997, p. 2)、聞こえるか 聞こえないか ていどの もので あるが かなで 書いて 日本語ふうに 考へると 「ん」で はじまる ことに なってしまふのである。

ついで チベット語を 考へる。著者は 「’ngaa(ンガア)」と 「nga(ンガ)」と 書くが これは /ŋaː/ [ŋaː]と /ŋa/ [ŋa] の ことで あらう。北村・長野 (1990, pp. v-xiv) 参照。/ŋaː/の つづり字に ’が あるのは 声調 記号を 残した ものと 考へておく。なぜ /ŋa/には 残さなかったのか 明らかでは ない(なほ ここでは 表記の 都合で 省略した。それぞれ53, 13である)。チベット語における /ŋ/は サラ語のやうに /ng/の 変異音として 現れるのでは なく 独立した 子音で ある。チベット語にも 前鼻音は 存在するが サラ語と 同様 それとは 区別される もので ある。チベット語の 鼻音には /ɲ/, /ŋ/, /n/, /m/の 4種類が 存在してゐる。チベット語の音節は CVCの 形式を 取りうるが、コーダのうち 鼻音は /m/, /ŋ/, /ɴ/に 限定され それぞれ 区別されるから 日本語と 様子が 違ふ ことが 分るだらう。

つづいては 広東語を 見てみよう。広東語 広州方言では 呉は /ŋ/と 発音される(声調略)(Ming, 2005, p. 36)。鼻音 /m/, /n/, /ŋ/は いづれも オンセットにも コーダにも 出うるが なかでも /m̩/, /ŋ̩/は 単独で 音節を 形成しうる (Ming, 2005, p. 59-60)。広東語において これらが 混ぢる ことは ない。「n」を確定するための「g」という音が次について現れるといふ ことは これらの 言語の ことでは ないので ある*5

著者は これらの 言語で 「ん」で はじまる ことばは すくないと 言ふ。著者によれば /ŋ/が 語頭に 立てば 「ん」が ある ことになる やうである。著者が ないと いふ ヨーロッパの 言語に ついては たしかに そのやうな 言語は ないやうだが ヨーロッパの 言語は おほく 似たやうな 音韻構造を してゐるため 人間の 言語の 性質を 考へるうへで ヨーロッパの 言語といふ くくりからは あまり よい 情報を 得られない。その 証拠に ヨーロッパにはない(この 件については インド・ヨーロッパ語族セム語族・ハム語族はと 言っても よい)語頭の /ŋ/も たがひに 類縁関係に ない たとへば タイ語族と ニジェロコンゴ語族とに 共通して 見られる (Haspelmath, Dryer, Gil, & Comrie, 2005, pp. 42-45)*6

語の かずが すくない ことも 不自然であるからとは かぎらない。日本語の 「つ」で はじまる ことばに つなみが あるが 英語には かかる 音で はじまる ことは まれで sunamiと 呼ばれると 言ふが、英語でも 「つ」の 子音は 現れうるので あり ここから 不自然さを 導きだすのには 無理が ある。北村・長野において なにから その語が はじまるかによって ページ数を かぞへた ところ*7 35項目 ある なかで /ŋ/で はじまる 語彙は 同率20位で /h/で はじまる 語彙や /w/で はじまる 語彙よりも 多かった。これは /h/や /w/が 不自然である 証左なのだらうか? さうでは あるまい。そもそも ひとが 現に 使ってゐる 音をして 不自然だ などと 評す 無礼さには あきれる ほか ないと 言へる。

著者が 不自然で あるからと する 「ん」から はじまる ことばが ないことは そもそも 日本語の 音のくみたてかたに 原因があって 「ん」の 発音の ありさまには ない*8。日本語の 音は 基本的に 子音と 母音の つらなりから なるが(はなしに 必要な 範囲で 子音とは 五十音図の ある行に 共通する 音であり 母音とは それと 組み合はせる あ・い・う・え・おのことと しておかう)*9、「ん」に かかはる 範囲では、 i. 同音の 母音、ii. 促音 または 撥音に かぎって うしろに つづくことが できるので ある*10。日本語に 「ん」が ない 理由は このやうな 日本語の できあがりに よってゐる。

そして はたして 「ん」は 不自然なのか。著者は 「ん」の 「喉の奥を止め」る 発音の ありさまが 不自然だと 言ふのだが、これは 「ん」の 発音の 説明として ただしくない。くわしくは 次回 以降に 述べるが、「ん」は 「喉の奥」を 止める 音では なく 鼻に 息を 通す 音と 言ふべきで ある*11。そして そのやうな 音が けして 不自然で ないのは な行・ま行を 出すのに また 英語の mや nが 鼻に 息を 通す 音である ことからも 分るだらう。著者が こだわる ngにしても すでに 用ゐる 言語が かなり 認められることは 示してあって とても 不自然なものとは 言へない。そして なによりも このやうに 「ん」の 不自然さを 論ふことより、むしろ いま してきたやうな 対照から 「ん」の 性質の 一面が 浮かびあがってくることを 見るべきで ある。

著者の 論法が ここに 取り上げただけで 済めば ともかく、徹頭徹尾 こんな ぐあひに 脈絡の ないものが つながっていって いちいち 批判するのも 手数で あるから、次回から あらためて 「ん」の性質や 歴史を 見ていかう。それが済んで なほ 言ふべきことが あれば 著者の 論の 見るべきところ あるいは 批判すべきところを 論じることと する。

諸言語は 直接 それを 学んだ わけでは なく また 日本語に 関する 記述も あやまりの 多いことを おそれる。つど ご指摘を いただければ 幸ひで ある。なほ 文献は 最後に 一括して 示す。

*1:引用者註、ふりがな:のど

*2アイヌ語は 歴史的 経緯から かな表記される ことが 多い 言語で ある。アイヌ語は C0Vないし C0VC1を 基本とする 音節構造を 持ち コーダ (C1) に -p, -m, -t, -n, -s, -r, -w, -j, -kが来うるが おほくの子音が 小文字をもって 書かれるのに対し その 音節末の nは 「ン」で 書かれると いふ (中川, 2006)。これは しかし いま 考へてゆく 「ん」では ない。

*3:ただし Ngambay方言では /nj/は [ⁿdʒ]ないし [ndʒ]である といふ (Thayer L, & Thayer J., 1971, pp. 3-5)。

*4:Ngambay方言において [ŋg]と [ng]は 弁別的である (Thayer L, & Thayer J., 1971, p. 5)。

*5:サラ語の /ng/は いくぶん この 定義に ちかい 要素を 持つ。さりながら /ng/において 重要なのは gであり nではない。サラ語や チベット語で さうだったやうに 前鼻音要素は 容易に 同器性同化を 引き起すが それと 「ん」との 顕著な ちがひは その 調音時間で、「ん」が 1モーラを 持つほど ながいのに対し 前鼻音は きはめて 短時間のみ 産出される (Ladefoged, & Maddieson, 1996, pp. 119-123; Welmers, 1973, pp. 68-74)。

*6:Moraic Nasalについては類型論的な議論を見つけられなかった。Moraic Nasalについて 日本語以外で 認められるやうに なったのは 近年に 属するためで あらう。Syllabic Nasalについては アフリカの 言語について Welmers (1973, pp. 68-70) を 見よ。

*7:北村・長野アルファベティカルな 排列を せず 意義分類を 取ってゐる。今回は 音韻表記による 索引を 見た。

*8:たんに 語頭に 立つだけで あれば 認められる やうで ある。それこそ ンジャメナの ごとく。Otake, T., & Yoneyama, K. (1996). Can a moraic nasal occur word-initially in Japanese? International Conference on Spoken Language Processing 1996: 2454-2457に 議論が あるやうで ある。

*9:厳密に 言へば これらは 定義によって 子音ないし 母音と なって 性質に よるものでは ないけれども。

*10:かかる つらなりを 音節といふ。この音節の構造は (C0)(j)V(ː)(C1)とも 書ける。jは 拗音のこと。C1は Qないし ɴを 取ることが できる。Qは促音であるが 音声としては 後続の 音節の 先頭の子音の ひきつづきである。

*11:「喉の奥を止め」る 音は 咽頭閉鎖音のことかとも 思ふ。それで あれば IPAも 有声音について 調音可能として 示すのみだから まづ 言語で 使はれることが ないだらうと されてゐると 言っても あながち あやまりでは ない。が、それが 「ん」で あらう わけも ない。