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2010-05-09

山口(2010)『ん』からはじめる思ひめぐらし: (1) はじめに

| 06:47 | はてなブックマーク - 山口(2010)『ん』からはじめる思ひめぐらし: (1) はじめに - scriptus ante-scriptus

この2月——だから そんなに 対論として 意味の ある 記事には ならないのだが、しかし あへて——に:

  • 山口謡司(2010)『ん: 日本語最後の謎に挑む』新潮社

が 出版された。著者の 前著、

  • 山口謡司(2007)『日本語の奇跡: 〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明』新潮社

の 悪評の たかさに 問題の 前著は 読んでゐなかったのだが 本著も また べつの いみで 期待できた。

なにぶん 著者の 書いたものは はじめてで あったが 一読 品の わるさに こっちが はづかしくなる 思ひを した。あとがきに 云ひて 曰く:

日本語には、なぜ「ん(ン)」で始まる言葉はないのか、と質問されたことがある。

しかし、じつは、世界の言語に目を広げても「ん」という発音で始まる言葉はさほど多くはないのである。思いつくままに挙げれば、たとえば、アフリカチャド共和国の首都名「N'Djamena」は日本語では「ン・ジャメナ」と表記される。また、チベット語には「’ngaa(ンガア)」が「早い」、「nga(ンガ)」が「私」を意味するような言葉があり、中国語の方言のひとつである広東語でも「ngo(ンゴ)」(「私」)などの言葉がある。さらに、広東語では「呉」という漢字は「Ng(ン)」と発音される。だが、これらの言語にも、「ン」で始まる言葉は少なく、ヨーロッパの諸言語にいたっては「ン(n)」で始まる言葉はまったくない。世界中の言語でも絶対数から言えば、日本語同様、「ン」で始まる言葉の数は非常に少ないのである。

では、なぜ少ないかと言うと、「ン」は、喉*1の奥で止めて出される音で、人が出す音としては不自然だからである。チベット語にしても広東語にしても「n」を確定するための「g」という音が次について現れるのはそのためである。つまり、単独で「ン」だけが存在するような言葉は、やはり、基本的にはないと言えよう。

山口 (2010, pp. 187-88)

「ん」は 著者の おほぶろしきに 反して 日本語にしか ない*2。これは すこし かんがへれば 分りさうな もので、音と いふのは ひとつひとつの 言語において おのおのの 成り立ちが あるの だから——言語学に ふなれな かたは 五十音図が 日本語の すべての 音を 構造化して みせるのを 思ふと よい。すべての 言語は おのおの なかみの ちがふ 「五十音図」を 持ってゐるのである——日本語の 「ん」を あてはめられる 言語は なくて しかるべきこと なのだ。英語には 「あ」から はじまる ことばは ないし、もちろん 日本語に 英語の appleの aから はじまる ことばも ない。

では 著者が あると いふ 「ん」とは なにものか 問ふに、かなに つづったとき 「ん」が あることに よってゐるのは 明白である。これを あへて ラテン・アルファベットで 考へてみれば、日本語を ラテン・アルファベットで ふつうに つづったとき 紅いは akaiと 書くが、これを 見て 英語の appleの aを 見て おなじ aがあると 言ってゐる やうな もので あらう。ほかにも、英語の strikeには stと 母音のない 音連続が あるが かなの ままでは スと トと それぞれ ウと オを 補はなければ ならないことに あきらかなやうに、かなでは 音のありさまを 推し量れない 言語が ある。かなで 考へてゐては 議論に ならないのだ。

そのほかにも 著者の 論には 問題が おほい。そこで この 引用を 素材として いくつか 検討してみよう。

引用した あとがきで 著者は 「ん」で はじまる ことばを 持つ 言語を あげ そのやうな 言語は まれで(とは 明確に 書いて ゐないが さう 考へないと 筋が とほらない)ヨーロッパの言語には 皆無で、かつ そのやうな 言語にあっても 「ん」ではじまることばは まれな 現象だと したうへで それを 「ん」の 発音の ひとの 音としての 不自然な 性質に 求めてゐる。

著者の 議論の 当否は 措いて まづは 「ん」が あると される 言語の 諸相を 見てみよう。

まづは 「ンジャメナ」である。「ん」で はじまると 有名な この 都市だが かならずしも ンと つづられるとは かぎらない。むしろ 辞書では ヌジャメナなどと する ほうが 多いやうで ある。そもそも この 都市は フランスが 占領して できた 砦に 発する 都市で ふるくは Fort-Lamyと 言ったが 初代 大統領 Tombalbayeの チャド化政策——とは いっても チャドマイノリティたる サラ民族 出身の 大統領が 行った 政策で 公平な 「チャド化」など ありえず 「サラ化」で あったのだが——によって 1970年 Ndjamenaと されたので あった (Tompson, & Adolf, 1981, pp. 43-44)。Ndjamenaの 意味する ところや Tombalbayeの言語など じふぶんに 調べられなかったのだが、この つづりは 宗主国で あった フランスの つづりかたに 影響された もので かならずしも サラ語に 即した ものでは ないので あらう、現代の サラ語に ndjといふ 表記連続は ない。サラ語の 一方言で ある Mbay方言において 前鼻音を 伴ふ 閉鎖音が よっつ ある なかに /nj/ [ⁿdʒ]が あって ンジャメナの ンジャとは この 音だと 考へておく (Keegan, 1997, pp. 1-2)*3。そのほかの 前鼻音閉鎖は /mb/ [ᵐb], /nd/ [ⁿd], /ng/ [ŋ(g)]で*4、これらは 鼻音 /n/ [n], /m/ [m]と 区別され (Keegan, 1997, p. 2)、聞こえるか 聞こえないか ていどの もので あるが かなで 書いて 日本語ふうに 考へると 「ん」で はじまる ことに なってしまふのである。

ついで チベット語を 考へる。著者は 「’ngaa(ンガア)」と 「nga(ンガ)」と 書くが これは /ŋaː/ [ŋaː]と /ŋa/ [ŋa] の ことで あらう。北村・長野 (1990, pp. v-xiv) 参照。/ŋaː/の つづり字に ’が あるのは 声調 記号を 残した ものと 考へておく。なぜ /ŋa/には 残さなかったのか 明らかでは ない(なほ ここでは 表記の 都合で 省略した。それぞれ53, 13である)。チベット語における /ŋ/は サラ語のやうに /ng/の 変異音として 現れるのでは なく 独立した 子音で ある。チベット語にも 前鼻音は 存在するが サラ語と 同様 それとは 区別される もので ある。チベット語の 鼻音には /ɲ/, /ŋ/, /n/, /m/の 4種類が 存在してゐる。チベット語の音節は CVCの 形式を 取りうるが、コーダのうち 鼻音は /m/, /ŋ/, /ɴ/に 限定され それぞれ 区別されるから 日本語と 様子が 違ふ ことが 分るだらう。

つづいては 広東語を 見てみよう。広東語 広州方言では 呉は /ŋ/と 発音される(声調略)(Ming, 2005, p. 36)。鼻音 /m/, /n/, /ŋ/は いづれも オンセットにも コーダにも 出うるが なかでも /m̩/, /ŋ̩/は 単独で 音節を 形成しうる (Ming, 2005, p. 59-60)。広東語において これらが 混ぢる ことは ない。「n」を確定するための「g」という音が次について現れるといふ ことは これらの 言語の ことでは ないので ある*5

著者は これらの 言語で 「ん」で はじまる ことばは すくないと 言ふ。著者によれば /ŋ/が 語頭に 立てば 「ん」が ある ことになる やうである。著者が ないと いふ ヨーロッパの 言語に ついては たしかに そのやうな 言語は ないやうだが ヨーロッパの 言語は おほく 似たやうな 音韻構造を してゐるため 人間の 言語の 性質を 考へるうへで ヨーロッパの 言語といふ くくりからは あまり よい 情報を 得られない。その 証拠に ヨーロッパにはない(この 件については インド・ヨーロッパ語族セム語族・ハム語族はと 言っても よい)語頭の /ŋ/も たがひに 類縁関係に ない たとへば タイ語族と ニジェロコンゴ語族とに 共通して 見られる (Haspelmath, Dryer, Gil, & Comrie, 2005, pp. 42-45)*6

語の かずが すくない ことも 不自然であるからとは かぎらない。日本語の 「つ」で はじまる ことばに つなみが あるが 英語には かかる 音で はじまる ことは まれで sunamiと 呼ばれると 言ふが、英語でも 「つ」の 子音は 現れうるので あり ここから 不自然さを 導きだすのには 無理が ある。北村・長野において なにから その語が はじまるかによって ページ数を かぞへた ところ*7 35項目 ある なかで /ŋ/で はじまる 語彙は 同率20位で /h/で はじまる 語彙や /w/で はじまる 語彙よりも 多かった。これは /h/や /w/が 不自然である 証左なのだらうか? さうでは あるまい。そもそも ひとが 現に 使ってゐる 音をして 不自然だ などと 評す 無礼さには あきれる ほか ないと 言へる。

著者が 不自然で あるからと する 「ん」から はじまる ことばが ないことは そもそも 日本語の 音のくみたてかたに 原因があって 「ん」の 発音の ありさまには ない*8。日本語の 音は 基本的に 子音と 母音の つらなりから なるが(はなしに 必要な 範囲で 子音とは 五十音図の ある行に 共通する 音であり 母音とは それと 組み合はせる あ・い・う・え・おのことと しておかう)*9、「ん」に かかはる 範囲では、 i. 同音の 母音、ii. 促音 または 撥音に かぎって うしろに つづくことが できるので ある*10。日本語に 「ん」が ない 理由は このやうな 日本語の できあがりに よってゐる。

そして はたして 「ん」は 不自然なのか。著者は 「ん」の 「喉の奥を止め」る 発音の ありさまが 不自然だと 言ふのだが、これは 「ん」の 発音の 説明として ただしくない。くわしくは 次回 以降に 述べるが、「ん」は 「喉の奥」を 止める 音では なく 鼻に 息を 通す 音と 言ふべきで ある*11。そして そのやうな 音が けして 不自然で ないのは な行・ま行を 出すのに また 英語の mや nが 鼻に 息を 通す 音である ことからも 分るだらう。著者が こだわる ngにしても すでに 用ゐる 言語が かなり 認められることは 示してあって とても 不自然なものとは 言へない。そして なによりも このやうに 「ん」の 不自然さを 論ふことより、むしろ いま してきたやうな 対照から 「ん」の 性質の 一面が 浮かびあがってくることを 見るべきで ある。

著者の 論法が ここに 取り上げただけで 済めば ともかく、徹頭徹尾 こんな ぐあひに 脈絡の ないものが つながっていって いちいち 批判するのも 手数で あるから、次回から あらためて 「ん」の性質や 歴史を 見ていかう。それが済んで なほ 言ふべきことが あれば 著者の 論の 見るべきところ あるいは 批判すべきところを 論じることと する。

諸言語は 直接 それを 学んだ わけでは なく また 日本語に 関する 記述も あやまりの 多いことを おそれる。つど ご指摘を いただければ 幸ひで ある。なほ 文献は 最後に 一括して 示す。

*1:引用者註、ふりがな:のど

*2アイヌ語は 歴史的 経緯から かな表記される ことが 多い 言語で ある。アイヌ語は C0Vないし C0VC1を 基本とする 音節構造を 持ち コーダ (C1) に -p, -m, -t, -n, -s, -r, -w, -j, -kが来うるが おほくの子音が 小文字をもって 書かれるのに対し その 音節末の nは 「ン」で 書かれると いふ (中川, 2006)。これは しかし いま 考へてゆく 「ん」では ない。

*3:ただし Ngambay方言では /nj/は [ⁿdʒ]ないし [ndʒ]である といふ (Thayer L, & Thayer J., 1971, pp. 3-5)。

*4:Ngambay方言において [ŋg]と [ng]は 弁別的である (Thayer L, & Thayer J., 1971, p. 5)。

*5:サラ語の /ng/は いくぶん この 定義に ちかい 要素を 持つ。さりながら /ng/において 重要なのは gであり nではない。サラ語や チベット語で さうだったやうに 前鼻音要素は 容易に 同器性同化を 引き起すが それと 「ん」との 顕著な ちがひは その 調音時間で、「ん」が 1モーラを 持つほど ながいのに対し 前鼻音は きはめて 短時間のみ 産出される (Ladefoged, & Maddieson, 1996, pp. 119-123; Welmers, 1973, pp. 68-74)。

*6:Moraic Nasalについては類型論的な議論を見つけられなかった。Moraic Nasalについて 日本語以外で 認められるやうに なったのは 近年に 属するためで あらう。Syllabic Nasalについては アフリカの 言語について Welmers (1973, pp. 68-70) を 見よ。

*7:北村・長野アルファベティカルな 排列を せず 意義分類を 取ってゐる。今回は 音韻表記による 索引を 見た。

*8:たんに 語頭に 立つだけで あれば 認められる やうで ある。それこそ ンジャメナの ごとく。Otake, T., & Yoneyama, K. (1996). Can a moraic nasal occur word-initially in Japanese? International Conference on Spoken Language Processing 1996: 2454-2457に 議論が あるやうで ある。

*9:厳密に 言へば これらは 定義によって 子音ないし 母音と なって 性質に よるものでは ないけれども。

*10:かかる つらなりを 音節といふ。この音節の構造は (C0)(j)V(ː)(C1)とも 書ける。jは 拗音のこと。C1は Qないし ɴを 取ることが できる。Qは促音であるが 音声としては 後続の 音節の 先頭の子音の ひきつづきである。

*11:「喉の奥を止め」る 音は 咽頭閉鎖音のことかとも 思ふ。それで あれば IPAも 有声音について 調音可能として 示すのみだから まづ 言語で 使はれることが ないだらうと されてゐると 言っても あながち あやまりでは ない。が、それが 「ん」で あらう わけも ない。

2009-12-01

山田孝雄の仮名遣研究を読み解くうえで参考になるんじゃないかとにらんでいる文献まとめ

| 02:38 | はてなブックマーク - 山田孝雄の仮名遣研究を読み解くうえで参考になるんじゃないかとにらんでいる文献まとめ - scriptus ante-scriptus

舩木さんが,山田孝雄の『仮名遣の研究』を入力なさっていて,たのまれもせずに校正をしたものの,訂正をお渡しする機会なく現在にいたっているところ,同時に解題のようなもの——山田の研究を史的に位置づけうるような——を書きたいとも願っており,それはまったく未着手ながら,そのための適切な文献リストができたならば,仮名遣研究史を追ううえで有用なリストにもまたなるであろうので,ここにまとめてみるしだい。もちろん,不完全ではあろうので,ご批正をよろしくお願いいたします。冒頭に#を附したものは未見。

個人的に集めている歴史的仮名遣研究文献が中心なので,山田が開拓した定家仮名遣については薄いですね。とはいえ,定家仮名遣研究史って,ちゃんとしたのを知らなかったり……。藤原定家の古典籍書写及び仮名遣いに関する研究文献目録も参考になるのでしょうが,ちょっと多すぎますね。

まとめとはいってみたものの,まとめになってない気もします。

  1. 大矢透『音図及手習詞歌考』1918。勉誠社、1969
  2. # 大野晋「仮名遣の起源について」『国語と国文学』27.12 (1950):
  3. # ———「藤原定家の仮名遣について」『国語学』72 (1968): 26-30
  4. 岡島昭浩「大矢透以前の史的五十音図研究」『語文』82 (2004): 37-46
  5. 木枝増一『仮名遣研究史』賛精社、1933
  6. 釘貫亨『近世仮名遣い論の研究: 五十音図と古代日本語音声の発見』名古屋大学出版会、2007
  7. 小松英雄『日本語の音韻』。『日本語の世界』巻7、中央公論社、1981
  8. 今野真二「定家以前: 藤末鎌初の仮名文献の表記について」『国語学』52.1 (2001): 59-73
  9. 迫野虔徳「仮名遣の発生と展開」林史典編『文字・書記』朝倉日本語学講座2、朝倉書店、2005。147-70 (伊坂氏執筆の「書記法の発達(2)」も重要ながら,書誌データがない)
  10. 滝浦真人山田孝雄: 共同体の国学の夢』再発見日本の哲学講談社,2009
  11. 築島裕平安時代語新論』 東京大学出版会、1969
  12. ———『歴史的仮名遣い: その成立と特徴』中公新書810、中央公論社、1986
  13. 林史典「〈音図〉と〈いろは〉」『小松英雄博士退官記念日本語学論集』三省堂、1993。457-68
  14. 古田東朔「音義派「五十音図」「かなづかい」の採用と廃止」『小学読本便覧』巻1、武蔵野書院、1978。373-96
  15. 馬渕和夫『五十音図の話』 大修館、1993
  16. # 山内育男「仮名遣の歴史」『音韻史・表記史』講座国語史2、大修館書店
  17. 山田孝雄『国語史文字篇』刀江書院、1937

追加分:

  • 加藤良徳「藤原定家による仮名文書記システムの改新」『國語學』52.1 (2001): 31-41
  • 福島直恭『書記言語としての「日本語」の誕生: その存在を問い直す』笠間書院、2008

kuzankuzan2009/12/03 15:2016の題名、『音韻史・文字史』
4の大矢透
とりあえず。

13のこと、忘れてたなぁ(ひとりごと)

karpakarpa2009/12/04 01:12ご教示ありがとうございます。どちらも訂正いたしました。

funaki_naotofunaki_naoto2009/12/04 01:21実は此方で内々に進めてゐた校正がこの間終り、PDFにして纏めました。本來ならそちらのファイルで校正を見ていたゞくべきだつたのですが、餘計な手間を掛けさせてしまつたと恐縮する次第。

karpakarpa2009/12/06 02:00いえいえ,かってにはじめたことなのですから,恐縮なさらないでください。しかも,附録はいっさい見てませんので^^;;;
いつぞやおはなししたように,本書を読んで山田の研究者としてのアンビヴァレンスさというものをつよく感じました。滝浦氏が山田の文法研究について評したのと,だいぶちかいものがあります(滝浦氏の著に,山田の仮名遣研究への言及がいっさいないのにもかかわらず,リストにふくめたのは,このためです)。
わたくしの勉強のついでに,赤を入れたようなものですから,恐縮なさるにはあたりません。まあ,直したPDFをお送りいただければ,整合してまたお返事することがあるやもしれませんが……。

2009-11-25

初鹿野阿れ, 熊取谷哲夫, 藤森弘子(1996)「不満表明ストラテジーの使用傾向: 日本語母語話者と日本語学習者の比較」『日本語教育』88: 128–39

| 10:06 | はてなブックマーク - 初鹿野阿れ, 熊取谷哲夫, 藤森弘子(1996)「不満表明ストラテジーの使用傾向: 日本語母語話者と日本語学習者の比較」『日本語教育』88: 128–39 - scriptus ante-scriptus

2007年に書いたレポート。いま読めば赤面ものでしかないが,初鹿野ほかの分析がよく分らなかったのはいま読めばまた違うのだろうか?

要約

 初鹿野ほか(1996)では、日本語母語話者(以下NS; Native Speaker)と日本語学習者(以下NNS; Non-Native Speaker)の不満表明行為を比較するために、談話完成テスト(以下DCT; Discourse Completion Test)をもちいて調査がされ、その分析から日本語での不満表明行為を表出する際のストラテジーには一定の型があること、またNNSはもちいる型に幅があることが示されている。

 不満を表明する言語行動は、母語話者にとっても難しい行為であるが、言語学習者ではその負担はさらに大きく、母語話者を相手にしたコミュニケーションにおいてこの能力を得ることは円滑なコミュニケーションをなすうえで重要である。しかし、日本語話者の不満表明行為については全くといってよいほどなされてこなかった。

 そこで、多様な背景を持つNSとNNS(中上級者)について、複数の対人の場面で⑴不満を感じるか、また感じた際の行動を尋ね、⑵相手に不満を直接言う場合、なんと言うかというDCTを行った。場面には病院の待合室で煙草を吸う隣人に対して、待ち合せに遅れた友人に対して(初めての遅刻/再度)など8場面があった。

 不満表明行為の特徴は、⑴話し手が聞き手に対して抱く行動期待があり、⑵話し手は行動期待に反している状況を好ましくなく考えており、⑵話し手は聞き手が行動期待に反したがために好ましくない状況に陥ったと考え、⑶話し手はこの認識をなんらかの手段で聞き手に伝えたい、という点にある。ここでは特に、言語行動によってどのように表明するか、その表現上のストラテジーDCTの結果に基づいて分析した。

 この表現上のストラテジーについて、11に分類した。すなわち、①改善を求める(a直接・b間接・c相手が破った行動期待の提示)、②命題を示す(a行為や状況の提示・b結果の提示・c暗示)、③原因の問いかけ、④確認、⑤警告や非難、⑥代償の要求、⑦感情の表出である。①や②における下位分類は、aからcに向かってより間接的・暗示的である。

 NSとNNSの全体的傾向を比較したとき、NSの特徴として②-aや③が多く用いられること、NNSの特徴として①-cや②-b、②-cが多く用いられることがあげられる。このような差異から、NNSのほうが①や②のストラテジーをとるときに間接的・暗示的ないい方を多用する傾向にあるといえる。また、NSはNNSよりも③を多用する傾向もうかがわれた。

 場面ごとにストラテジーの傾向を比較すると、NSが①-aや②-aを選択する傾向がある場面で、対照的にNNSが②-cを選択する傾向がみられた。しかし、場面によっては、NSもNNSも選択するストラテジーがほぼ同じであったり、あるいはNSが②-cを選び、NNSが①-aや②-aを選んだり、NNSも①-aや②-aを選ぶもののほかの選択肢も選ばれたりすることもみられた。

 不満表明行為は、単一あるいは複数のストラテジーの組合せによってなりたつ。試験ごとのストラテジーの連鎖を分析すると、NSが使用するストラテジーの連鎖が三つの型に集中し(70%)、NNSの結果がNSの結果よりかなり分散し、連鎖型にバリエーションが多いことが明らかとなった。バリエーション度(全連鎖型/データ数)によって比較すると、ほぼすべての場面でNSはいくつかの連鎖型に集中すること、NNSのほうがバリエーションが多いことが裏付けられた。

 以上の結果により、⑴ストラテジーの使用傾向は全体的に類似しているが、NNSには、より間接的、より暗示的なストラテジーを用いる傾向があり、NSには好ましくない事態を起こした原因・理由を問うストラテジーを用いる傾向があり、⑵ストラテジーの連鎖型では、NSの用いたストラテジーの連鎖はいくつかの連鎖型にあつまる一方、NNSの用いた連鎖はバリエーションが多かったことがいえる。これらより、特定の場面でのストラテジーの組合せが典型化していることが示唆される。

感想

 不満を述べることはむつかしい。まして、自由のきかない言語であれば、気の利かし方一つとっても気をもむのである。簡単な会話集では記載がないことも多いようである。

 このことについて思いだすことがある。amazon.comには、Market Priceなる古書店仲介サービスがある。今春、書籍を1部そこで註文したのであるが、なにをどう手間取ったのか、2か月ほどしても届かなかった。初めての註文で不安になったため、その古書店に問い合わせることにした。その答えは、amazon.comが把握しているのでその古書店では現在地はわかりかねる、もし標準の許容配達期限である発送から12週間の時点が過ぎても届かないようであれば、もう一度聯絡せよとのことであった。発送から12週間たっても来ず、13週間たっても来ないため、再度問い合わせると、詫びとともに返金までされたのである(該書は、このやり取りの2週間後に何事もなかったのように到着した)。amazon.comとそのパートナーの問題で、古書店によって返金されることが当然とは考えていなかったため、筆者は2度目の問い合わせの際、こう書いたのだった——I am not considering reimbursement now, but I strongly request Amazon or you to make the order arrived。いま見返せばつたないだけの英文であるが、日本語で書けば次のようになっただろう——「御返金をもとめはいたしませんが、(amazon社または貴社には、)かならず註文の商品をお届けくださいますようお願いもうしあげます」。

 回りくどかったが、上のような不満表明は日本ではさほど強く出たようには聞こえないだろうが、アメリカ合衆国ではそうではないかもしれないということである。初鹿野ほか(1996)は日本語での不満表明についての研究であり、上で述べた思いでに示唆を与えるものではないが、相手に自分が表明した不満がどのように伝わるのか想像しきれない怖さが、間接的な不満表明へと言語学習者を導いたと考えることを助ける経験ではあったろう。

 初鹿野ほか(1996)で気になるのは、比較についてである。大筋は疑うことはないとしても、たとえば、「……NNSも①-aと②-aを多く使用しているが、その割合はNSほどではなく……」(p. 134)と述べるが、表3を見て、場面7のNSとNNSの②-aの使用頻度に2%の開きしかないのを見ると、統計的にはとても有意であるまいと感じる。また、p. 135ではストラテジー連鎖型の使用傾向を比較しているが、NSの使用傾向が上位3類型を足して70%とするのに対し、NNSについては1位のものが30%しか占めないと述べる。しかし、NSでもっとも多く使われた①-aについても三十数%とおそらく統計的に有意な差はなく、なぜNNSについても上位3類型に集中しているといえないのかあきらかでない。また、例8を⑦・⑦・②-cの連鎖とするが、なぜ⑦・②-cと別にしなければならないのか、など瑣末かもしれないが、不分明なところが多かったように感じる。表3のゴシック体の意味がとくに説明されていないことや、発話行為に至らない不満表明などをどのように扱ったのかが全く不明であることなどから、筆者が分析とデータとを照合しようとしたときに感じた困難は、欠点であると断じてよいように思う。

 とはいえ、NSが、相手がしている好ましくない行為や相手によって引き起こされた好ましくない状況を述べることで、不満を伝えようとしていると数値として示されたのは十分に興味深いことであろう。たとえば、足を踏まれて、「ちょっと足を動かしてくださるとありがたいのですが」(①-b)や「痛いのです」(②-b)と述べることはあまりないだろう。NSが③を好むことを併せ考えても、相手がなにをしているために、発話者の気分を損ねているのか認識させ、改善を求めるというように心理的なストラテジーをとることが多いと言えるのではないかと考えた。

 初鹿野ほか(1996)は、厳密さにおいてやや欠くところなしとせざるも、言語行動研究において模範的な論文であることは疑われないように思われる。筆者が今後このような調査に携わる機会を得るかはわからないが、もしあれば、結論の鮮やかさがかくのごときレベルに達するような調査研究をなしたいものである。

2009-09-17

とある経験

| 02:08 | はてなブックマーク - とある経験 - scriptus ante-scriptus

小学3年生のころ,英語教室ができるとかで勧誘に来たのに引っかかり,ディズニーの英語教材を買わせておきながらほとんど何もしなかったという優秀なわたくしであったが,とまれ通いはじめた。中学生コースのシャドウイングも英作文もまったくものにならなかった(なにせ,週1回の教室でしかやらなかったもので……)し,小学校のときもcaveとかdragonflyとか描いてあるカードで遊んでたのは,じつにこまったお金の使い方をさせてたのだなあと親に申し訳なく思うのだが,今回思い出して書こうと思うのは,そういうことではなくて,そこでふと得られた,じぶんの言語についての感覚の原点とでもいうべき興味についてである。

たいしたことではないのだが,生徒が入るとき,教師が英語であいさつをしてみせるのだが,どうがんばってもグラフタヌーンにしか聞こえないそれがなんなのか,そして,それを文字を通して見たときのおもしろさ——good afternoonなのだ——,それがいまのわたしを規矩しているような気がしてならない。

2009-08-12

協調の原理とそれにまつはることどもについて

| 05:14 | はてなブックマーク - 協調の原理とそれにまつはることどもについて - scriptus ante-scriptus

歴史的仮名遣なのはコピペ防止といふことに。

協調の原理 (cooperative principle) は、グライス (Paul Grice) が提唱した概念で、意味ある会話をなさうとするとき、話し手が守らうとし、聞き手が解釈の根柢とするものを体系化しようとしたものである (Grice, 1975)。この原理はよっつの格率 (maxims) と呼ばれる下位原理を従へる:

協調の原理:会話における貢献を、それがなされてゐる時点の会話の目的や方向性において、求められてゐるやうなものにせよ。

格率

量:1. 貢献を (会話の現在の目的において) 求められてゐるだけの情報を持つものにせよ

  2. 貢献を求められた以上に情報を持たせないやうにせよ

質:貢献が真実であるやうに努力せよ

  1. あやまりだと考へてゐることを言はないやうにせよ

  2. 適切な証拠を持たないことを言はないやうにせよ

関係性:当を得たものであれ (Be Relevant)

はなしぶり:明快であれ

  1. 曖昧な表現を避けよ

  2. 意味の取りあぐねさを避けよ

  3. 簡潔であれ (不必要な冗長さを避けよ)

  4. 整然としたものであれ

(Yule, 1997: 37)

なほ、Grice (1989) において、協調の原理はつぎのごとき会話にのみ成立するとされてゐる:

1. 会話の参加者になにか当座の共通した目的があり、

2. 会話における参加者の貢献はかみ合ひ、かつ、たがひに依存するものであり、

3. (しばしば暗黙の了解で) 特段のことがなければ、交流は、終はらせようといふ双方の合意がないかぎり、適切に続けられなければならない

(Lindblom, 2006: 177)

たとへば、量の格率を守るとはどのやうなことであらうか。

(1)a. (9:30の電車を逃した。つぎは9:54に出る。Bが時刻表をのぞき込んでゐて)

  A: つぎの電車は?

  B: けふ。

 b. A: この動物はなんていふの?

  B: これはカピバラで、ねずみのなかま。

 b'. A: この動物はなんていふの?

  B: これは、カピバラといって、生後22か月で成熟するんだ。カピバラ南アメリカの言語のワラニー語で、「草原の主」といふ意味でね、…… (続く)

少なすぎてはならない、といふのはちょっと考へただけでもたしからしい。(1a)ではBが求められてゐるのは分であることは明白である。では、多すぎるとはどういふことか。(1b)も(1b')も、量の格率のほかの格律に反してはゐないやうだが、なにか特殊な文脈を想定しなければ、(1b')が情報が不当に多いのはあきらかであらう。

質はどうだらうか。これもどちらもすぐ飲みこめさうである:

(2)a. A: 29足す7だから……。

  B: (かぶせるやうに) 34だよ。

 b. A: (ベニテングダケを指して) これ食べられるかな。

  B: 食べられるんぢゃない?

(2) のいづれもしゃべってゐることを真実たらせるべくする努力をまったくしてゐないのはあきらかである。なかでも (2a) はわざとまちがひを言ひ、(2b) は無責任な発言である。

当を得ない発言は、しばしばコントの題材となる:

(3)a. (Aがわかい女性の写真を見てゐる。BはAに娘がゐることを知ってゐる。Bがのぞき込んで)

  B: おきれいになりましたね。娘さんももう大きくおなりになったんでせう。

  A: もうはたちですかね。

  B: ああ、いまがいちばんはなざかりで。

  A: ああ、これは母のわかいころです。

 b. (そば屋にて、註文まへ)

  A: かきあげつけようかな。どう思ふ?

  B: ああ、肉には赤ワインだよね。

(3a) は、BがAの持ってゐる写真に興味を持って話しかけたのだと分ってゐてのことであれば、まづ事実関係を糺すべきなのを、それをしなかったのであれば、まさに当を得ない発言である。(3b) のBの無関係さはいふまでもない。

はなしぶりについては、個々に切り分けるのは困難である。1の「曖昧な表現を避けよ」と2の「意味の取りあぐねさを避けよ」の相違についてのみ見ておく (Grice (1989) ではこのふたつはひとつにされてゐる)。

(4)a. (註文を受けてきて) チャーハンが10人前くらゐださうです。

 b. (歩道の真ん中に看板が立ってゐて)「ここではきものをお脱ぎください」

(4a) は、言ってゐることがはっきりとしないことであるが、(4b) は、ふたつの取りようがある文字列で、どちらに解すべきかは文脈のたすけさへあればはっきりすることであって (だから、無理な設定にすれば、取れない。英語では、Flying planes can be dangerous. (Chomsky (1955), The logical structure of Linguistic Theory. Plenum Press, New York. p. 215) のやうなものがある) 、曖昧なのとは区別できる。

この原理は、ないがしろにしては情報伝達にさし障るたちのものであるが、いつでも守れるものではないし、そもそも墨守するものでもない。Grice (1975)にすでに言はれてゐるやうに、これはけして、つねに、厳密に、守られるものではない。むしろ、ひとびとは自然にこれを破りながら会話を遂行するのであって、この原理は破られるものとして見ると、つぎのやうに類型化できる:1. 部分的に破る;2. 全面的に破る。これらはさらにこまかく分けられる。すなはち、1. i. 一部の格率を留保する、ii. 一部の格率に沿はない、2. i. 拒否する、ii. 無視する、のよっつである。

1. i.は、「ことわり」(hedge) と言ふ。これは、「完全ではないものの」ある格率に遵って発言をするばあひ、言ひかへれば、どれかの格率に遵ふためにほかのどれかを守ることが叶はないとき、ひとはことわりを入れて、この原理を尊重し、従ってゐることを示さうとする (Yule, 1997: 38–39) ことである。

(5)a. ご存じのとほり、ここもちかごろ禁煙なものですから。

 b. はなしに聞いたんだけど、Aさん離婚したんだって?

 c. A: めがねがない!

  B: 失礼だけど、頭のうへに乗っかってるのは?

 d. うまく伝はらないかもしれないけど、たしかに幽霊を見たんだ。

(5a–d) は、それぞれ、量、質、関係、はなしぶりの格律への違反を断る表現を含んでゐて、とくに (5d) では、守らうとしたのだといふ主張が顕著である。

1. ii.は、推意 (implicature) が働くことで、円滑に機能する。推意 (implicature, 以前は含意とも) とは、単純にいへば、「協調の原理に沿って、言はれたこと以上のものを解釈したその内容」のことである (Yule, 1997: 128)。似たことばに、推論 (inference) がある。(1a) をもう一度見てみよう。

(1)a. (9:30の電車を逃した。つぎは9:54に出る。Bが時刻表をのぞき込んでゐて)

  A: つぎの電車は?

  B: けふ。

これが、かうであればどうだらうか。

(6)A: つぎの電車は?

 B: 54分。

(6) では、何時とはいはれないが、Aは、いま9時半であることは承知ずみか、容易に承知できるから、54分といふ言表 (utterance) をもとにして、すぐに9:54に来るのだと推論できる。すなはち、推論は、聞き手が知識や文脈を用ゐて言はれたことを意味あるものに捉へる過程である。対して、推意は、協調の原理を破ってゐるかのやうな言表を、この原理に沿ったかたちに解釈しなほした、あるいはさう解釈することを望むその意味のことであって、話し手、聞き手双方にあり、推論と異なる。

(7)A: なにか食べたい。

 B: 冷蔵庫にのこりものがあるよ。

ここで、BはAの発話に原理を厳密に守って応へてゐない。では、このBの発話をAはどのやうに解釈するだらうか。まづ、Aにとって、Bの発話は協力的な貢献をなすものであると考へてみる。すると、Bはたべもののありかを教へてくれたのだから、関係性の格率に沿ってゐるのであれば、Bはそれを食べていいとしてゐるからかかる貢献をなしたのだと推論できる。すなはち、このやうな会話をなしたに等しい*1

(7')A: なにか食べたい。

 B: 冷蔵庫にのこりものがあるのをお食べ。

グライスは、かかる原理と推論があることで、ひとびとが——たとへ口げんかをするのであっても——意思疎通を成し遂げられるのだと考へるのである。グライスはこの話し手が口にしたこと以上のことを言ふことを、「会話の推意」(conversational implicature) と呼んだ。Aの命題をPとし、Bの命題をQとして、図式化すると、以下のやうにならう (ただし+>以下は推意):

(8)A: P

 B: Qのなか (+> PはQのなか)

この会話上の推意について、特別の文脈や知識に基づかずに与へられる推意だとして、「一般化された会話の推意」(generalized conversational implicatures) と呼ぶ。

(9)A: あるあさ、ある家のまへを通ったら、Bがゐた。 (ある家 +> Bの家でない)

(9) は、もしAが誤解を生む気がないかぎり、つまり、情報が過不足ないものであれば、「ある」は「Bのではないこと」を意味するだらう。これは、「ある」にふくまれた意味と見なすのではなく、「Bの家のまへを通った」ではなく、「ある家のまへを通った」といふことに起因する、量の格律を用ゐた推意と見なすべきなのである。

一般化された会話上の推意は、その内部に「尺度の推意」(scalar implicature) があるとする。尺度の推意は、たとへばつぎの形容詞のグループを尺度を表すものと捉へる:

(10)a. 〈すべて、ほとんど、たくさん、すこし〉

 b. 〈つねに、しばしば、ときをり〉

このやうなとき、

(11)a. コップにすこし水を残した。 (+> たくさんでない、+> ほとんどでない、 +> すべてでない)

 b. しばしば訪れる店がある。 (+> つねにでない)

尺度のなかで、より上位の尺度について否定の推意が与へられたと考へる。これはすべての量りうるものにあてはまると言ふ。

(12)ここはすずしい。 (+> さむくない)

すなはち、〈さむい、すずしい〉といふ尺度があって、すずしいといふことは、寒くないといふことを意図してゐる。この否定の推意から、量について言ひ直すことがある:

(13)a. ぜんぜん……いやとってもきれい。

 b. 〈とても、ちょっと、ぜんぜん〉

(13a) のいひなほしの背景には (13b) のごとき尺度が考へられるのである (Yule, 1997: 41–42)。

「一般化された会話の推意」は、特定の文脈ないし知識を要するものではないが、要するものもまたある:いはゆる「察する」といふもので、「特定化された会話の推意」(particularized conversational implicature) がそれである。「特定化された会話の推意」は、もっとも多い「推意」であるため、たんに推意と呼ばれることがある (Yule, 1997: 43)。

(14)a. A: (電話で) これからPに行くんだけど、来ない?

   B: 両親が来てて。

 b. A: (CがBの近くで試験勉強をしてゐる) B、お菓子買ってきたよー。

  B: A、となりの公園でお花がきれいなのよ。

(14a) では、「Bは両親が来てゐて出られない (だから、+> 来ない)」と考へると、Bの返答が問ひに対して関係ある答へとなる。この「両親が来てゐると動けない」といふのは、文化的なもので、知識が必要である。(14b) のやうな場面で、Aは、なんらかの理由でここを離れるのだといふことを察するだらう。

「会話の推意」は、否定したり、補強したり、留保したりできる。たとへば:

(15)a. この花がきれい。

 b. この花、いや、あの花はきれい。

 c. この花はこんなにきれい。

 d. この花はあの花よりはきれい。

グライスは、「会話の推意」とべつに、「慣習的推意」(conventional implicature) といふものがあるとした。慣習的推意は、会話の推意と異なり、協調の原理に従ふものではなく、また、取り消しなどはできない (Yule, 1997: 45)。一見、意味のちがひのやうでもあるが、しかし、語用論的性質に基づいてゐる:

(16)a. Aが泣いてBが謝った。 (PてQ +> PだからQ)

 b. Aが泣いて謝った。 (PてQ +> PかつQ)

(17)をこぜは顔は怖いがうまい。 (PがQ +> (PかつQ) かつ (Pと対照的にQ))

このとき、「て」の推意はそれぞれ「だから」(16a)、「かつ」(16b) となり、「が」は、「かつ」に加へて、対称性の推意がある。

文献

  • Grice, P. (1975). “Logic and conversation.” In P. Cole and J.L. Morgan (eds.). Syntax and Semantics, Vol. 3: Speech acts. New York: Academic Press.
  • Grice, P. (1989). Studies in the way of words. Cambridge: Harvard University Press.
  • Lindblom, K. (2006). “Cooperative Principle.” In K. Brown et al. (eds.) Encyclopedia of languages and linguistics. 2nd edn., vol. 3. Amsterdam: Elsevier.
  • Yule, G. (1997). Pragmatics. New York: Oxford University Press.

*1:会話の貢献が等しい、といふことである。

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