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2009-12-01

山田孝雄の仮名遣研究を読み解くうえで参考になるんじゃないかとにらんでいる文献まとめ

| 02:38 | はてなブックマーク - 山田孝雄の仮名遣研究を読み解くうえで参考になるんじゃないかとにらんでいる文献まとめ - scriptus ante-scriptus

舩木さんが,山田孝雄の『仮名遣の研究』を入力なさっていて,たのまれもせずに校正をしたものの,訂正をお渡しする機会なく現在にいたっているところ,同時に解題のようなもの——山田の研究を史的に位置づけうるような——を書きたいとも願っており,それはまったく未着手ながら,そのための適切な文献リストができたならば,仮名遣研究史を追ううえで有用なリストにもまたなるであろうので,ここにまとめてみるしだい。もちろん,不完全ではあろうので,ご批正をよろしくお願いいたします。冒頭に#を附したものは未見。

個人的に集めている歴史的仮名遣研究文献が中心なので,山田が開拓した定家仮名遣については薄いですね。とはいえ,定家仮名遣研究史って,ちゃんとしたのを知らなかったり……。藤原定家の古典籍書写及び仮名遣いに関する研究文献目録も参考になるのでしょうが,ちょっと多すぎますね。

まとめとはいってみたものの,まとめになってない気もします。

  1. 大矢透『音図及手習詞歌考』1918。勉誠社、1969
  2. # 大野晋「仮名遣の起源について」『国語と国文学』27.12 (1950):
  3. # ———「藤原定家の仮名遣について」『国語学』72 (1968): 26-30
  4. 岡島昭浩「大矢透以前の史的五十音図研究」『語文』82 (2004): 37-46
  5. 木枝増一『仮名遣研究史』賛精社、1933
  6. 釘貫亨『近世仮名遣い論の研究: 五十音図と古代日本語音声の発見』名古屋大学出版会、2007
  7. 小松英雄『日本語の音韻』。『日本語の世界』巻7、中央公論社、1981
  8. 今野真二「定家以前: 藤末鎌初の仮名文献の表記について」『国語学』52.1 (2001): 59-73
  9. 迫野虔徳「仮名遣の発生と展開」林史典編『文字・書記』朝倉日本語学講座2、朝倉書店、2005。147-70 (伊坂氏執筆の「書記法の発達(2)」も重要ながら,書誌データがない)
  10. 滝浦真人山田孝雄: 共同体の国学の夢』再発見日本の哲学講談社,2009
  11. 築島裕平安時代語新論』 東京大学出版会、1969
  12. ———『歴史的仮名遣い: その成立と特徴』中公新書810、中央公論社、1986
  13. 林史典「〈音図〉と〈いろは〉」『小松英雄博士退官記念日本語学論集』三省堂、1993。457-68
  14. 古田東朔「音義派「五十音図」「かなづかい」の採用と廃止」『小学読本便覧』巻1、武蔵野書院、1978。373-96
  15. 馬渕和夫『五十音図の話』 大修館、1993
  16. # 山内育男「仮名遣の歴史」『音韻史・表記史』講座国語史2、大修館書店
  17. 山田孝雄『国語史文字篇』刀江書院、1937

追加分:

  • 加藤良徳「藤原定家による仮名文書記システムの改新」『國語學』52.1 (2001): 31-41
  • 福島直恭『書記言語としての「日本語」の誕生: その存在を問い直す』笠間書院、2008

kuzankuzan2009/12/03 15:2016の題名、『音韻史・文字史』
4の大矢透
とりあえず。

13のこと、忘れてたなぁ(ひとりごと)

karpakarpa2009/12/04 01:12ご教示ありがとうございます。どちらも訂正いたしました。

funaki_naotofunaki_naoto2009/12/04 01:21実は此方で内々に進めてゐた校正がこの間終り、PDFにして纏めました。本來ならそちらのファイルで校正を見ていたゞくべきだつたのですが、餘計な手間を掛けさせてしまつたと恐縮する次第。

karpakarpa2009/12/06 02:00いえいえ,かってにはじめたことなのですから,恐縮なさらないでください。しかも,附録はいっさい見てませんので^^;;;
いつぞやおはなししたように,本書を読んで山田の研究者としてのアンビヴァレンスさというものをつよく感じました。滝浦氏が山田の文法研究について評したのと,だいぶちかいものがあります(滝浦氏の著に,山田の仮名遣研究への言及がいっさいないのにもかかわらず,リストにふくめたのは,このためです)。
わたくしの勉強のついでに,赤を入れたようなものですから,恐縮なさるにはあたりません。まあ,直したPDFをお送りいただければ,整合してまたお返事することがあるやもしれませんが……。

2009-11-25

初鹿野阿れ, 熊取谷哲夫, 藤森弘子(1996)「不満表明ストラテジーの使用傾向: 日本語母語話者と日本語学習者の比較」『日本語教育』88: 128–39

| 10:06 | はてなブックマーク - 初鹿野阿れ, 熊取谷哲夫, 藤森弘子(1996)「不満表明ストラテジーの使用傾向: 日本語母語話者と日本語学習者の比較」『日本語教育』88: 128–39 - scriptus ante-scriptus

2007年に書いたレポート。いま読めば赤面ものでしかないが,初鹿野ほかの分析がよく分らなかったのはいま読めばまた違うのだろうか?

要約

 初鹿野ほか(1996)では、日本語母語話者(以下NS; Native Speaker)と日本語学習者(以下NNS; Non-Native Speaker)の不満表明行為を比較するために、談話完成テスト(以下DCT; Discourse Completion Test)をもちいて調査がされ、その分析から日本語での不満表明行為を表出する際のストラテジーには一定の型があること、またNNSはもちいる型に幅があることが示されている。

 不満を表明する言語行動は、母語話者にとっても難しい行為であるが、言語学習者ではその負担はさらに大きく、母語話者を相手にしたコミュニケーションにおいてこの能力を得ることは円滑なコミュニケーションをなすうえで重要である。しかし、日本語話者の不満表明行為については全くといってよいほどなされてこなかった。

 そこで、多様な背景を持つNSとNNS(中上級者)について、複数の対人の場面で⑴不満を感じるか、また感じた際の行動を尋ね、⑵相手に不満を直接言う場合、なんと言うかというDCTを行った。場面には病院の待合室で煙草を吸う隣人に対して、待ち合せに遅れた友人に対して(初めての遅刻/再度)など8場面があった。

 不満表明行為の特徴は、⑴話し手が聞き手に対して抱く行動期待があり、⑵話し手は行動期待に反している状況を好ましくなく考えており、⑵話し手は聞き手が行動期待に反したがために好ましくない状況に陥ったと考え、⑶話し手はこの認識をなんらかの手段で聞き手に伝えたい、という点にある。ここでは特に、言語行動によってどのように表明するか、その表現上のストラテジーDCTの結果に基づいて分析した。

 この表現上のストラテジーについて、11に分類した。すなわち、①改善を求める(a直接・b間接・c相手が破った行動期待の提示)、②命題を示す(a行為や状況の提示・b結果の提示・c暗示)、③原因の問いかけ、④確認、⑤警告や非難、⑥代償の要求、⑦感情の表出である。①や②における下位分類は、aからcに向かってより間接的・暗示的である。

 NSとNNSの全体的傾向を比較したとき、NSの特徴として②-aや③が多く用いられること、NNSの特徴として①-cや②-b、②-cが多く用いられることがあげられる。このような差異から、NNSのほうが①や②のストラテジーをとるときに間接的・暗示的ないい方を多用する傾向にあるといえる。また、NSはNNSよりも③を多用する傾向もうかがわれた。

 場面ごとにストラテジーの傾向を比較すると、NSが①-aや②-aを選択する傾向がある場面で、対照的にNNSが②-cを選択する傾向がみられた。しかし、場面によっては、NSもNNSも選択するストラテジーがほぼ同じであったり、あるいはNSが②-cを選び、NNSが①-aや②-aを選んだり、NNSも①-aや②-aを選ぶもののほかの選択肢も選ばれたりすることもみられた。

 不満表明行為は、単一あるいは複数のストラテジーの組合せによってなりたつ。試験ごとのストラテジーの連鎖を分析すると、NSが使用するストラテジーの連鎖が三つの型に集中し(70%)、NNSの結果がNSの結果よりかなり分散し、連鎖型にバリエーションが多いことが明らかとなった。バリエーション度(全連鎖型/データ数)によって比較すると、ほぼすべての場面でNSはいくつかの連鎖型に集中すること、NNSのほうがバリエーションが多いことが裏付けられた。

 以上の結果により、⑴ストラテジーの使用傾向は全体的に類似しているが、NNSには、より間接的、より暗示的なストラテジーを用いる傾向があり、NSには好ましくない事態を起こした原因・理由を問うストラテジーを用いる傾向があり、⑵ストラテジーの連鎖型では、NSの用いたストラテジーの連鎖はいくつかの連鎖型にあつまる一方、NNSの用いた連鎖はバリエーションが多かったことがいえる。これらより、特定の場面でのストラテジーの組合せが典型化していることが示唆される。

感想

 不満を述べることはむつかしい。まして、自由のきかない言語であれば、気の利かし方一つとっても気をもむのである。簡単な会話集では記載がないことも多いようである。

 このことについて思いだすことがある。amazon.comには、Market Priceなる古書店仲介サービスがある。今春、書籍を1部そこで註文したのであるが、なにをどう手間取ったのか、2か月ほどしても届かなかった。初めての註文で不安になったため、その古書店に問い合わせることにした。その答えは、amazon.comが把握しているのでその古書店では現在地はわかりかねる、もし標準の許容配達期限である発送から12週間の時点が過ぎても届かないようであれば、もう一度聯絡せよとのことであった。発送から12週間たっても来ず、13週間たっても来ないため、再度問い合わせると、詫びとともに返金までされたのである(該書は、このやり取りの2週間後に何事もなかったのように到着した)。amazon.comとそのパートナーの問題で、古書店によって返金されることが当然とは考えていなかったため、筆者は2度目の問い合わせの際、こう書いたのだった——I am not considering reimbursement now, but I strongly request Amazon or you to make the order arrived。いま見返せばつたないだけの英文であるが、日本語で書けば次のようになっただろう——「御返金をもとめはいたしませんが、(amazon社または貴社には、)かならず註文の商品をお届けくださいますようお願いもうしあげます」。

 回りくどかったが、上のような不満表明は日本ではさほど強く出たようには聞こえないだろうが、アメリカ合衆国ではそうではないかもしれないということである。初鹿野ほか(1996)は日本語での不満表明についての研究であり、上で述べた思いでに示唆を与えるものではないが、相手に自分が表明した不満がどのように伝わるのか想像しきれない怖さが、間接的な不満表明へと言語学習者を導いたと考えることを助ける経験ではあったろう。

 初鹿野ほか(1996)で気になるのは、比較についてである。大筋は疑うことはないとしても、たとえば、「……NNSも①-aと②-aを多く使用しているが、その割合はNSほどではなく……」(p. 134)と述べるが、表3を見て、場面7のNSとNNSの②-aの使用頻度に2%の開きしかないのを見ると、統計的にはとても有意であるまいと感じる。また、p. 135ではストラテジー連鎖型の使用傾向を比較しているが、NSの使用傾向が上位3類型を足して70%とするのに対し、NNSについては1位のものが30%しか占めないと述べる。しかし、NSでもっとも多く使われた①-aについても三十数%とおそらく統計的に有意な差はなく、なぜNNSについても上位3類型に集中しているといえないのかあきらかでない。また、例8を⑦・⑦・②-cの連鎖とするが、なぜ⑦・②-cと別にしなければならないのか、など瑣末かもしれないが、不分明なところが多かったように感じる。表3のゴシック体の意味がとくに説明されていないことや、発話行為に至らない不満表明などをどのように扱ったのかが全く不明であることなどから、筆者が分析とデータとを照合しようとしたときに感じた困難は、欠点であると断じてよいように思う。

 とはいえ、NSが、相手がしている好ましくない行為や相手によって引き起こされた好ましくない状況を述べることで、不満を伝えようとしていると数値として示されたのは十分に興味深いことであろう。たとえば、足を踏まれて、「ちょっと足を動かしてくださるとありがたいのですが」(①-b)や「痛いのです」(②-b)と述べることはあまりないだろう。NSが③を好むことを併せ考えても、相手がなにをしているために、発話者の気分を損ねているのか認識させ、改善を求めるというように心理的なストラテジーをとることが多いと言えるのではないかと考えた。

 初鹿野ほか(1996)は、厳密さにおいてやや欠くところなしとせざるも、言語行動研究において模範的な論文であることは疑われないように思われる。筆者が今後このような調査に携わる機会を得るかはわからないが、もしあれば、結論の鮮やかさがかくのごときレベルに達するような調査研究をなしたいものである。

2009-09-17

とある経験

| 02:08 | はてなブックマーク - とある経験 - scriptus ante-scriptus

小学3年生のころ,英語教室ができるとかで勧誘に来たのに引っかかり,ディズニーの英語教材を買わせておきながらほとんど何もしなかったという優秀なわたくしであったが,とまれ通いはじめた。中学生コースのシャドウイングも英作文もまったくものにならなかった(なにせ,週1回の教室でしかやらなかったもので……)し,小学校のときもcaveとかdragonflyとか描いてあるカードで遊んでたのは,じつにこまったお金の使い方をさせてたのだなあと親に申し訳なく思うのだが,今回思い出して書こうと思うのは,そういうことではなくて,そこでふと得られた,じぶんの言語についての感覚の原点とでもいうべき興味についてである。

たいしたことではないのだが,生徒が入るとき,教師が英語であいさつをしてみせるのだが,どうがんばってもグラフタヌーンにしか聞こえないそれがなんなのか,そして,それを文字を通して見たときのおもしろさ——good afternoonなのだ——,それがいまのわたしを規矩しているような気がしてならない。

2009-08-12

協調の原理とそれにまつはることどもについて

| 05:14 | はてなブックマーク - 協調の原理とそれにまつはることどもについて - scriptus ante-scriptus

歴史的仮名遣なのはコピペ防止といふことに。

協調の原理 (cooperative principle) は、グライス (Paul Grice) が提唱した概念で、意味ある会話をなさうとするとき、話し手が守らうとし、聞き手が解釈の根柢とするものを体系化しようとしたものである (Grice, 1975)。この原理はよっつの格率 (maxims) と呼ばれる下位原理を従へる:

協調の原理:会話における貢献を、それがなされてゐる時点の会話の目的や方向性において、求められてゐるやうなものにせよ。

格率

量:1. 貢献を (会話の現在の目的において) 求められてゐるだけの情報を持つものにせよ

  2. 貢献を求められた以上に情報を持たせないやうにせよ

質:貢献が真実であるやうに努力せよ

  1. あやまりだと考へてゐることを言はないやうにせよ

  2. 適切な証拠を持たないことを言はないやうにせよ

関係性:当を得たものであれ (Be Relevant)

はなしぶり:明快であれ

  1. 曖昧な表現を避けよ

  2. 意味の取りあぐねさを避けよ

  3. 簡潔であれ (不必要な冗長さを避けよ)

  4. 整然としたものであれ

(Yule, 1997: 37)

なほ、Grice (1989) において、協調の原理はつぎのごとき会話にのみ成立するとされてゐる:

1. 会話の参加者になにか当座の共通した目的があり、

2. 会話における参加者の貢献はかみ合ひ、かつ、たがひに依存するものであり、

3. (しばしば暗黙の了解で) 特段のことがなければ、交流は、終はらせようといふ双方の合意がないかぎり、適切に続けられなければならない

(Lindblom, 2006: 177)

たとへば、量の格率を守るとはどのやうなことであらうか。

(1)a. (9:30の電車を逃した。つぎは9:54に出る。Bが時刻表をのぞき込んでゐて)

  A: つぎの電車は?

  B: けふ。

 b. A: この動物はなんていふの?

  B: これはカピバラで、ねずみのなかま。

 b'. A: この動物はなんていふの?

  B: これは、カピバラといって、生後22か月で成熟するんだ。カピバラ南アメリカの言語のワラニー語で、「草原の主」といふ意味でね、…… (続く)

少なすぎてはならない、といふのはちょっと考へただけでもたしからしい。(1a)ではBが求められてゐるのは分であることは明白である。では、多すぎるとはどういふことか。(1b)も(1b')も、量の格率のほかの格律に反してはゐないやうだが、なにか特殊な文脈を想定しなければ、(1b')が情報が不当に多いのはあきらかであらう。

質はどうだらうか。これもどちらもすぐ飲みこめさうである:

(2)a. A: 29足す7だから……。

  B: (かぶせるやうに) 34だよ。

 b. A: (ベニテングダケを指して) これ食べられるかな。

  B: 食べられるんぢゃない?

(2) のいづれもしゃべってゐることを真実たらせるべくする努力をまったくしてゐないのはあきらかである。なかでも (2a) はわざとまちがひを言ひ、(2b) は無責任な発言である。

当を得ない発言は、しばしばコントの題材となる:

(3)a. (Aがわかい女性の写真を見てゐる。BはAに娘がゐることを知ってゐる。Bがのぞき込んで)

  B: おきれいになりましたね。娘さんももう大きくおなりになったんでせう。

  A: もうはたちですかね。

  B: ああ、いまがいちばんはなざかりで。

  A: ああ、これは母のわかいころです。

 b. (そば屋にて、註文まへ)

  A: かきあげつけようかな。どう思ふ?

  B: ああ、肉には赤ワインだよね。

(3a) は、BがAの持ってゐる写真に興味を持って話しかけたのだと分ってゐてのことであれば、まづ事実関係を糺すべきなのを、それをしなかったのであれば、まさに当を得ない発言である。(3b) のBの無関係さはいふまでもない。

はなしぶりについては、個々に切り分けるのは困難である。1の「曖昧な表現を避けよ」と2の「意味の取りあぐねさを避けよ」の相違についてのみ見ておく (Grice (1989) ではこのふたつはひとつにされてゐる)。

(4)a. (註文を受けてきて) チャーハンが10人前くらゐださうです。

 b. (歩道の真ん中に看板が立ってゐて)「ここではきものをお脱ぎください」

(4a) は、言ってゐることがはっきりとしないことであるが、(4b) は、ふたつの取りようがある文字列で、どちらに解すべきかは文脈のたすけさへあればはっきりすることであって (だから、無理な設定にすれば、取れない。英語では、Flying planes can be dangerous. (Chomsky (1955), The logical structure of Linguistic Theory. Plenum Press, New York. p. 215) のやうなものがある) 、曖昧なのとは区別できる。

この原理は、ないがしろにしては情報伝達にさし障るたちのものであるが、いつでも守れるものではないし、そもそも墨守するものでもない。Grice (1975)にすでに言はれてゐるやうに、これはけして、つねに、厳密に、守られるものではない。むしろ、ひとびとは自然にこれを破りながら会話を遂行するのであって、この原理は破られるものとして見ると、つぎのやうに類型化できる:1. 部分的に破る;2. 全面的に破る。これらはさらにこまかく分けられる。すなはち、1. i. 一部の格率を留保する、ii. 一部の格率に沿はない、2. i. 拒否する、ii. 無視する、のよっつである。

1. i.は、「ことわり」(hedge) と言ふ。これは、「完全ではないものの」ある格率に遵って発言をするばあひ、言ひかへれば、どれかの格率に遵ふためにほかのどれかを守ることが叶はないとき、ひとはことわりを入れて、この原理を尊重し、従ってゐることを示さうとする (Yule, 1997: 38–39) ことである。

(5)a. ご存じのとほり、ここもちかごろ禁煙なものですから。

 b. はなしに聞いたんだけど、Aさん離婚したんだって?

 c. A: めがねがない!

  B: 失礼だけど、頭のうへに乗っかってるのは?

 d. うまく伝はらないかもしれないけど、たしかに幽霊を見たんだ。

(5a–d) は、それぞれ、量、質、関係、はなしぶりの格律への違反を断る表現を含んでゐて、とくに (5d) では、守らうとしたのだといふ主張が顕著である。

1. ii.は、推意 (implicature) が働くことで、円滑に機能する。推意 (implicature, 以前は含意とも) とは、単純にいへば、「協調の原理に沿って、言はれたこと以上のものを解釈したその内容」のことである (Yule, 1997: 128)。似たことばに、推論 (inference) がある。(1a) をもう一度見てみよう。

(1)a. (9:30の電車を逃した。つぎは9:54に出る。Bが時刻表をのぞき込んでゐて)

  A: つぎの電車は?

  B: けふ。

これが、かうであればどうだらうか。

(6)A: つぎの電車は?

 B: 54分。

(6) では、何時とはいはれないが、Aは、いま9時半であることは承知ずみか、容易に承知できるから、54分といふ言表 (utterance) をもとにして、すぐに9:54に来るのだと推論できる。すなはち、推論は、聞き手が知識や文脈を用ゐて言はれたことを意味あるものに捉へる過程である。対して、推意は、協調の原理を破ってゐるかのやうな言表を、この原理に沿ったかたちに解釈しなほした、あるいはさう解釈することを望むその意味のことであって、話し手、聞き手双方にあり、推論と異なる。

(7)A: なにか食べたい。

 B: 冷蔵庫にのこりものがあるよ。

ここで、BはAの発話に原理を厳密に守って応へてゐない。では、このBの発話をAはどのやうに解釈するだらうか。まづ、Aにとって、Bの発話は協力的な貢献をなすものであると考へてみる。すると、Bはたべもののありかを教へてくれたのだから、関係性の格率に沿ってゐるのであれば、Bはそれを食べていいとしてゐるからかかる貢献をなしたのだと推論できる。すなはち、このやうな会話をなしたに等しい*1

(7')A: なにか食べたい。

 B: 冷蔵庫にのこりものがあるのをお食べ。

グライスは、かかる原理と推論があることで、ひとびとが——たとへ口げんかをするのであっても——意思疎通を成し遂げられるのだと考へるのである。グライスはこの話し手が口にしたこと以上のことを言ふことを、「会話の推意」(conversational implicature) と呼んだ。Aの命題をPとし、Bの命題をQとして、図式化すると、以下のやうにならう (ただし+>以下は推意):

(8)A: P

 B: Qのなか (+> PはQのなか)

この会話上の推意について、特別の文脈や知識に基づかずに与へられる推意だとして、「一般化された会話の推意」(generalized conversational implicatures) と呼ぶ。

(9)A: あるあさ、ある家のまへを通ったら、Bがゐた。 (ある家 +> Bの家でない)

(9) は、もしAが誤解を生む気がないかぎり、つまり、情報が過不足ないものであれば、「ある」は「Bのではないこと」を意味するだらう。これは、「ある」にふくまれた意味と見なすのではなく、「Bの家のまへを通った」ではなく、「ある家のまへを通った」といふことに起因する、量の格律を用ゐた推意と見なすべきなのである。

一般化された会話上の推意は、その内部に「尺度の推意」(scalar implicature) があるとする。尺度の推意は、たとへばつぎの形容詞のグループを尺度を表すものと捉へる:

(10)a. 〈すべて、ほとんど、たくさん、すこし〉

 b. 〈つねに、しばしば、ときをり〉

このやうなとき、

(11)a. コップにすこし水を残した。 (+> たくさんでない、+> ほとんどでない、 +> すべてでない)

 b. しばしば訪れる店がある。 (+> つねにでない)

尺度のなかで、より上位の尺度について否定の推意が与へられたと考へる。これはすべての量りうるものにあてはまると言ふ。

(12)ここはすずしい。 (+> さむくない)

すなはち、〈さむい、すずしい〉といふ尺度があって、すずしいといふことは、寒くないといふことを意図してゐる。この否定の推意から、量について言ひ直すことがある:

(13)a. ぜんぜん……いやとってもきれい。

 b. 〈とても、ちょっと、ぜんぜん〉

(13a) のいひなほしの背景には (13b) のごとき尺度が考へられるのである (Yule, 1997: 41–42)。

「一般化された会話の推意」は、特定の文脈ないし知識を要するものではないが、要するものもまたある:いはゆる「察する」といふもので、「特定化された会話の推意」(particularized conversational implicature) がそれである。「特定化された会話の推意」は、もっとも多い「推意」であるため、たんに推意と呼ばれることがある (Yule, 1997: 43)。

(14)a. A: (電話で) これからPに行くんだけど、来ない?

   B: 両親が来てて。

 b. A: (CがBの近くで試験勉強をしてゐる) B、お菓子買ってきたよー。

  B: A、となりの公園でお花がきれいなのよ。

(14a) では、「Bは両親が来てゐて出られない (だから、+> 来ない)」と考へると、Bの返答が問ひに対して関係ある答へとなる。この「両親が来てゐると動けない」といふのは、文化的なもので、知識が必要である。(14b) のやうな場面で、Aは、なんらかの理由でここを離れるのだといふことを察するだらう。

「会話の推意」は、否定したり、補強したり、留保したりできる。たとへば:

(15)a. この花がきれい。

 b. この花、いや、あの花はきれい。

 c. この花はこんなにきれい。

 d. この花はあの花よりはきれい。

グライスは、「会話の推意」とべつに、「慣習的推意」(conventional implicature) といふものがあるとした。慣習的推意は、会話の推意と異なり、協調の原理に従ふものではなく、また、取り消しなどはできない (Yule, 1997: 45)。一見、意味のちがひのやうでもあるが、しかし、語用論的性質に基づいてゐる:

(16)a. Aが泣いてBが謝った。 (PてQ +> PだからQ)

 b. Aが泣いて謝った。 (PてQ +> PかつQ)

(17)をこぜは顔は怖いがうまい。 (PがQ +> (PかつQ) かつ (Pと対照的にQ))

このとき、「て」の推意はそれぞれ「だから」(16a)、「かつ」(16b) となり、「が」は、「かつ」に加へて、対称性の推意がある。

文献

  • Grice, P. (1975). “Logic and conversation.” In P. Cole and J.L. Morgan (eds.). Syntax and Semantics, Vol. 3: Speech acts. New York: Academic Press.
  • Grice, P. (1989). Studies in the way of words. Cambridge: Harvard University Press.
  • Lindblom, K. (2006). “Cooperative Principle.” In K. Brown et al. (eds.) Encyclopedia of languages and linguistics. 2nd edn., vol. 3. Amsterdam: Elsevier.
  • Yule, G. (1997). Pragmatics. New York: Oxford University Press.

*1:会話の貢献が等しい、といふことである。

2009-07-28

『閑居友』の形式名詞トキ寸見

19:21 | はてなブックマーク - 『閑居友』の形式名詞トキ寸見 - scriptus ante-scriptus

『閑居友』(慶政著、承久4(1222)年成立)において、形式名詞トキのもちいかたにものめずらしさを感じるところがあって、それについてしばし考えてみる。

いまここに考えるトキは、節を作るトキであって、『閑居友』におけるそのようなトキは以下のとおりである(登場順、峰岸ほか編(1974)参照。用例はすべて影印により、私意に表記を改めた)。

  • (1) 命のかずみち果てて、ひとり中有のたびに赴かんとき、たれか随ひ訪ふものあらん(上4、空也上人あなものさはがしやとわびたまふ事)
  • (2) これは釈迦如来昔不軽菩薩といはれ給しとき、しそめ給けるおこなひなりければ、いつとなくもし侍べきに事にこそ侍めれ(上9、あづまのかたに不軽おがみける老僧の事)
  • (3) されば仏涅槃に入りたまはんとせし時、おほきなる光お放ち給て十方をてらし給しに……天上にむまるとぞ侍める(上9)
  • 廬山の精舎にて法座にのぼりて法をとき給に、終りなんとせしとき、たちまちに手にもちたる麈尾の高座よりおちけるにぞ、涅槃に入りにけりとはしりそめ侍ける(上10、覚弁法師涅槃経ときて高座にておはる事)
  • (4) わが心の違はぬとき、仏のちかひを仰ぎて命をすてゝむ事かしこかるべし(上11、はりまの国の僧の心おゝこす事)
  • (5) かやうにふつに身をすて侍人には、をはりのとき、かならずめたゝしきほどの瑞相の侍なめり(上12、あふみのいしたうの僧の世をのがるゝ事)
  • (6) いまだいゑにありけるとき、いみじくことりお愛して飼ひけるが(上13、かう野のひじりの山からによりて心おゝこす事)
  • (7) みどり子にて侍し時、母のものにまかりいでしが、心ぼそく、したはしく侍しよりは(上17、稲荷山のふもとに日をゝがみて涙おながす入道事)
  • (8) かくのみなりゆけば、世中もうきたちておぼゆるに、たれもとしのいたういふかひなくならぬ時、おのがよゝになりなんもひとつのなさけなるべし(上20、あやしのおとこ野はらにてかばねをみて心をゝこす事)
  • (9) 出家の功徳によりて、仏ノ国にむまればかならず返きて、ともを誘はんとき、心ざしのほどはみゑまうさんずるぞ(上20)
  • (10) 式部卿御子……御子身まかりにけるとき、かのすみたまひける帳のかたひらのひもに、むかしの手にて……、と書きてむすびたまへりけるは(下1、つの国の山中の尼の発心事)
  • (11) もろこしに侍し時、聞ゝ侍しは(下5、はつせの観音に月まいりする女の事)
  • (12) もろこしに侍し時、人のかたり侍しは(下6、もろこしの后のあにわび人になりてかたへをはくくむ事)
  • (13) もろこしに侍し時、人のかたり侍しは(下7、もろこしの人馬牛の物うれうる聞て発心する事)
  • (14) 願はくは、……草のいほりの中に、かりのねの夢を見果て、松のとぼそのあひだにながきわかれを告げんとき、かならず立ち返り、友をいさよふ縁にもなせかしと也けり(下11、東山にて往生するめのわらはのこと)

これらを整理するまえに、トキについていちおう見ておこう。倉持(1971)には、

前件が後件を成立させるための条件となることを表わす。(例)君の言を信ずるとき、従来の説はすべて否定されることになる

とある(ただし、現代語としている)。とくに現代語にかぎった用法ではなさそうで、日本国語大辞典には、

(五)行為や状態を表わす連体修飾句を受け、形式名詞として用いる。(一)そうする場合、そういう状態である場合、の意を表わす。後の文に続く場合、接続助詞のようなはたらきを兼ねる。場合。ほど。折。

  • 古事記〔712〕上・歌謡「沖つ鳥 胸見る登岐(トキ) 羽(は)叩(たた)ぎも これは相応(ふさ)はず」

とあり、古事記のものに現代語とのへだたりがあろうようにも思われない。

さて、そのようなトキではないトキがいままで見てきたトキにあると思う。(4, 8)がそれである。再掲しよう。

  • (4) わが心の違はぬとき、仏のちかひを仰ぎて命をすてゝむ事かしこかるべし(上11、はりまの国の僧の心おゝこす事)
  • (8) かくのみなりゆけば、世中もうきたちておぼゆるに、たれもとしのいたういふかひなくならぬ時、おのがよゝになりなんもひとつのなさけなるべし(上20、あやしのおとこ野はらにてかばねをみて心をゝこす事)

どちらも、前件は後件の単純な条件ではなさそうである。前者はたんにわたしが理解できないだけかもしれないが、後者は、あきらかに、後件に否定的に接続している。

山内編(1969)に拠って類例を探ってみると、

  • (15) 公任の宰相の、中将ときこえけるとき、清少納言がもとへ、ふところ帋に書きて、すこしはるある心ちこそすれと有(り)けり。(上12)

が(4)とちかい用例であるように思われた。

黒木邦彦(2007)「中古日本語のトキ節に見られる文法的特徴」『語文』88など見ればなにか参考になるのだろうか。

なんも考えてないな。

文献

倉持保男(1971)「とき」松村明編『日本文法大事典』明治書院

峰岸明、王朝文学研究会編(1974)『閑居友: 本文及び総索引笠間書院

山内洋一郎編(1969)『古本説話集総索引風間書房

kuzankuzan2009/07/28 22:14黒木2007はテンス(とムード)の話(トキ節と主文節と)ですから、あまり関係はしないように思います。

karpakarpa2009/07/29 21:27コメントありがとうございます。それは残念です。

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